余韻というものがあって良かった。今日は間違いなく昨日の続きなんだと思えるから。

 

あの子が遊ぼう!って言ったら、私がいいよ、踊ろう!ってこたえる

そんな私たちが好き

 

 

そしてまた今日から始まっていく明日がある。

ドレミの音階がどこからでも始まっていけるように、季節をいつからでも巡らせていけるように、今日という日だってどこからでも始めることができる。